最近、クリスマスの行事らしきものをやってないので思い出作りができてないなと思う。小さい子どもがそばにいないからだろう。ケーキもそう言えばここ数年は買ってなかったかもしれない。子どもの頃、この行事は教会で参加していた。教会の先生たちは、ちまたのドンチャン騒ぎは本当は違うのだと私たちに教えていたっけ。クリスチャンではなかったが、幼稚園が教会だった延長で日曜学校に通っていたから、教会でこの行事は祝っていたわけだ。キリスト誕生の劇を礼拝堂の前の壇上で毎年誰かしらがやっていたと思う。私が憶えているのは、自分がキリストの母親マリア様の役で、母のワイン色のベルベットのワンピースを借り、裾を引きずらんばかりにして劇をやったこと。中学の頃は、覚えたての英語のビング・クロスビーの歌を思い浮かべながら、ちょっと好きだった男の子にあげる壁飾りのキャンドルの刺繍を、渡す時のことを想像してドキドキしながらしたことが思い出される。最近の記憶は、これはもう後悔でしかない思い出なのだが。去年の暮れに亡くなった幼馴染が、一昨年の12月に、習っているジャズピアノの先生に勧められて、聖夜に人前でジャズピアノを弾くから聞きに来てと電話をしてきた。だが、私はちょうど遠出をしたばかりで、東京まで出る気になれず、姑にまた出かけるというのも億劫だったために行かれないと断ってしまった。その後、しばらくして、まだピアノを彼女が人前で弾いているなら聞きに行こうと連絡を取ると、もうやめたという。その時彼女は私にこう言った、「物事にはタイミングっていうものがあるのよ、あの時聞きに来てほしかったな。」その時も後悔したが後の祭り。そのある意味償いのつもりで、夏に彼女の家の近くまで遠出をし、夕食を一緒にとった。結局彼女に会ったのはそれが最後。私に闘病を知らせないまま、亡くなる直前まで見舞いに行っていた、共通の友人に、キャンドルサービスで看護師さんたちが病室に来てくれ、こんな聖夜の過ごし方もあるんだなあと思った、という言葉を残し、数日後に亡くなった。私に大きな後悔を残した、苦い思い出だ。`